グローバル人材育成に置き去りにされる認識

「グローバル人材をどうすれば生み出せるのか」、の前に「その"グローバル人材"とはいったい何ぞや」というのが果たしてこういった話題を口にする論者に、あるいはそのぐろーばるな競争の渦中にある若者らには定義できているのか?
という懸念が、いつもこの手の焦るニュアンスの話題を耳にする際に私には浮かぶのです。
だって「より大きな時代の流れを見ろ」だとか「国際的な視野を持て」だとか叫ばれて焦らされる私たちにとってみりゃ、そんな意味不明の外力に乗せられ慌てるなんてしんどいじゃないですか。
理由は何だい? と問うてせめて「ははぁそれで昨今あんたらは私らにそんなに"ぐろーばる化”の推進だっつって急かすんだな」と合点したいじゃないですか。

多様な価値観や国際感覚や異文化というものを学ぶことが、それが大切なのかい?
留学だの語学研修だの言ってよそン国に親しんで帰ってきて、その効果が「より広い視野で物事を捉えられる人間性豊かな人格を育む」なんて単にそれでグローバル人材なんて謳われちゃアホらしくなるってんでい。
競争力にそこまで価値を置くのはなぜか。競争力だなんて言っているのはもう古いんじゃないのかなんて提起が上がらないのはみんなにとってはそれほど自明なことなのか。
私の頭が回ってないのか、どうにも具体性も効果もぼやぼやの喧伝以上に認識が発展しないキーワードなんですよね。不思議。
自分たちの内側に何か忘れていませんか、と。


posted by 有人衒家 at 22:31 | Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月21日

4月21日火曜日の更新まとめ

本日の更新まとめ 150421/9304日目

郁しい花の香をかぐ
posted by 有人衒家 at 23:32 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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